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大河ドラマ 信長

あらすじ:16世紀、西洋的な合理主義精神をもとに天下統一をめざした織田信長。その生涯と、激動の時代そのものをとらえた大型歴史ドラマです。文化庁裁定申請中(2019年4月8日申請)
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視聴タイプ
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配信期間
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解説ページ
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大河ドラマ 信長 動画情報

タイトル名 大河ドラマ 信長
ジャンル

50エピソード

第 1回 ジパング
天正13年(1585)、天正少年使節がローマ教皇に謁見(えっけん)。初の公式訪欧は日本の近代化への第一歩でした。その45年前、幼い信長は尾張国で城主になります。 この番組の視聴可能期限は2016年6月30日までとなります。ご了承ください。
第 2回 親父(おやじ)の死
港町・津島の旅篭(はたご)で、側近の池田恒興(つねおき)らと女踊りに興ずる信長は、刺客(しかく)に襲われます。刺客を追い払ったところへ、父・信秀が倒れたという知らせが…。駆けつけた信長に「誰一人信じるな」と言い残し、息を引き取る信秀。翌朝、鉄砲の練習で、草原にこだまする銃声を聞きながら、父をしのぶ信長。しかし、父の葬儀にふだん着で参列した信長は、抹香を位牌(いはい)に投げつけ、その場を去ります。
第 3回 抗争のはじまり
父・信秀の死後、信長は、駿河・遠江(とおとうみ)・三河を制し尾張へ動きだした今川を先頭で迎え撃ちます。無謀な信長を憂える一番家老の平手政秀は、二番家老の林通勝(みちかつ)にさとされ、信長を盛り立てようと誓います。末盛城では弟・信行が、自分が家督を継ぐべきだと母・るいを困らせますが、家督は父の側近・加納随天の助言で信長に決まります。一方、山口で道に倒れていた僧・慈海を、トルレス神父が助けます。
第 4回 切腹
信長と守護代・織田信友との抗争が始まりました。家老・平手政秀の子・五郎右衛門は、守山城にいる信長の叔父・織田信光へ援軍の催促に行きますが「信長のうつけに家老のうつけ」と父までもなじられます。信光と弟・信行の援軍で信長勢は優勢に戦い、信友を清洲城に孤立させました。祝宴の席で酔った信光に再び父をののしられた五郎右衛門は、恨みを募らせ信光を襲いますが、逆に窮地に追い込まれます。政秀は息子の責任を取り…。
第 5回 まむしの道三
天文22年(1553)春、信長と正室・帰蝶(きちょう)の父、斎藤道三との対面が実現しました。当日、道三は道筋の納屋で信長らが来るのをのぞき見していましたが、まるで野盗の群れのようでした。ところが、対面場所の正徳寺に、信長は美しく正装した武将の姿で現れ、道三を驚かせます。対面は、親子の情すら漂う和やかなものでした。同じころ、トルレス神父と慈海たちは貿易商人ルイス・デ・アルメイダに会っていました。
第 6回 大名への第一歩
信長は、主君の尾張守護職を殺した尾張守護代・織田信友を城へ追い込みますが、攻め入らず明け渡しを求めます。織田の本家である美しい清洲城を汚したくなかったからです。天文23年(1554)春、叔父・信光は、信友の家老に信長攻めを持ちかけられ、話に乗ったふりをして信長と本家筋の信友を攻めます。信友は切腹、清洲城は晴れて信長の手に。父の死から3年、事実上、尾張下四郡を制した信長の天下布武への第一歩でした。
第 7回 目には目を
清洲城の城主となった信長。正室の帰蝶(きちょう)は子供ができず、離縁を口にします。怒って部屋をでた信長の目に、突然、木から落ちた小者が映りました。藤吉郎、後の秀吉です。その夜の宴席で、叔父・信光が酒の勢いで信長をなじります。信長は尾張統一のため、前田利家と丹羽長秀に信光の暗殺を命じます。一方、山口ではフェルナンデスとアルメイダが武士に斬られた男を救います。感動した慈海は、二人に神の教えを請います。
第 8回 鬼の栖(すみか)
清洲城の帰蝶(きちょう)に、父・斎藤道三から便りが届きます。いつになく弱気な父に胸騒ぎを覚える帰蝶。美濃の稲葉山城で、道三と家督を継いだ子・義竜が反目し合っていました。実の子にののしられた道三は「心が鬼の栖(すみか)になったか」とつぶやき、城を去ります。一方、鷹狩りで家臣の生駒家を訪ね、美しい娘しのと出会った信長は上機嫌で帰城します。そこへ母・るいが弟・信行の頼みを持って訪れ、信長を激怒させます。
第 9回 道三敗死
弘治2年(1556)春、斎藤道三の家臣が、信長に仕えたいと使者を送ってきました。家臣も案じるほど道三と義竜の仲は悪化。ついに義竜は2人の弟を殺し、父・道三のいる鷺山城を攻めます。信長は、道三の要請で援軍を送りますが、間に合わず、道三は討ち死にします。「道三死す」の報に、信長はやむなく清洲城へ引き返します。遺言状には、美濃一国を愛娘・帰蝶(きちょう)の夫・信長に譲るとありました。
第10回 骨肉の争い
末盛城の弟・信行に謀反の疑いありと聞いた信長。守山城の弟・信時に信行の動きを見張るよう命じます。話し合いに末盛城を訪れた随天は信行に斬りつけられますが、るいの機転で難を逃れます。間もなく、守山城内で信時が家老に殺されました。信行の仕業と考えた信長は家臣に出陣の準備を命じ、信行もまた信長を疑い出陣を命じます。弘治2年(1556)8月、ついに信長勢と信行勢が激突しました。骨肉の争いに勝利したのは…。
第11回 弟よ
必死に弟・信行の命ごいをする母・るいのため、やむなく罪を不問に付した信長。さらに、父・道三の敵討ちを口にする妻・帰蝶(きちょう)など、問題山積の信長は生駒家の娘しのに安らぎを求めます。一方、山口では慈海が洗礼を受け、ロレンソと命名されます。弘治3年(1557)秋、再び信行の謀反を知った信長は重病を装い、見舞いに訪れた信行を刺殺します。それからまもなく、しのは信長の嫡男、後の信忠を産みます。
第12回 尾張統一
信長は、弟・信行の死を悲しむ母・るいを清洲城に呼び、また、嫡男を産んだしのも正室として城に迎えます。怒って離縁を迫る帰蝶(きちょう)に、2人とも大事な妻だとはぐらかす信長。美濃の斎藤義竜が尾張上四郡の守護代・織田信賢(のぶかた)と手を結び攻めてきますが、信長の大勝利に終わります。父の夢でもあった尾張統一を喜ぶ信長に、随天は上洛(じょうらく)し、将軍に尾張守護職の役目を頂くようにと進言します。
第13回 桶狭間の戦い(前)
永禄2年(1559)2月、上洛した信長は将軍・足利義輝に拝謁します。清洲へ戻り守護職・織田信賢を降伏させ、名実ともに尾張統一を果たしました。翌年、今川軍は尾張へ動き、今川方の松平元康(後の徳川家康)の軍勢が丸根砦(とりで)を攻めます。信長は「人間50年、天下の内を比べれば、夢幻のごとくなり」と謡い、清洲城を後にします。織田軍の最前線を守る佐久間盛重はわずかな兵で奮戦しますが命を落としてしまいます。
第14回 桶狭間の戦い(後)
善照寺砦(とりで)に入った信長は、丸根・鷲津の両砦が松平元康(後の徳川家康)ら今川勢に落とされたことを知らされます。今川軍の本隊が桶狭間(おけはざま)に向かったことを知ると、信長も桶狭間へ出陣します。清洲城では、母・るいと随天が勝利を祈願。天が願いを聞き届けたのか、雷鳴がとどろき、猛烈な雨が降ってきました。敵に気づかれずに接近した織田軍は今川軍に攻め込み、ついに義元を討ち取ります。
第15回 家庭の問題
戦勝祝宴の日、信長は林通勝(みちかつ)、池田恒興(つねおき)ら重臣に、美濃攻めの計画を告げます。今川義元に続き、斉藤義竜を攻め落とし、織田軍の強さを諸国に見せつける戦略です。また、信長は手柄を立てた家臣を重臣に取り立てると宣言。丹羽長秀と前田利家を重臣に、藤吉郎を足軽組小頭に取り立て、ほうびの銀を与えました。祝宴の途中、信長が出陣の日取りを決めるため随天の部屋を訪れると、そこに母・るいがいました。
第16回 神の戦士たち
随天を斬り、母・るいを幽閉した信長は美濃攻めに取りかかります。一方、桶狭間(おけはざま)の戦いの半年前、ヴィレラ神父、ロレンソ修道士、ダミアン一行は、都での布教の許可を得るため比叡山(ひえいざん)の心海上人を訪ねますが、応対に出た僧に追い返されます。最後の望みをかけ、堺のキリシタンに紹介された建仁寺の永源庵をたより、京へ向かいます。西洋人見たさに拝謁を許した将軍・足利義輝は、一行に許可を与えます。
第17回 妖怪のクリスマス
美濃の斎藤義竜を攻めあぐねる信長は側近の池田恒興(つねおき)に、弟・信行の正室だった清との祝言を命じます。めでたい話で吉運を呼び込む考えです。信長は帰蝶(きちょう)としのから母親の幽閉を責められ、祖父・信定から随天が生きていることを聞きますが、手を出さないよう命じられます。永禄3年(1560)秋、恒興と清は祝言を挙げます。この年12月25日、ヴィレラ神父らは日本初のクリスマスのミサを行います。
第18回 和平同盟
国境を巡り交渉が難航していましたが、信長は松平元康(後の徳川家康)とついに和睦しました。そんな折、斎藤義竜の急死の知らせが届きます。信長は、ただちに兵を整えさせるとともに、美濃衆の引き抜きを急がせました。足軽小頭の藤吉郎が敵方の野盗を味方にしました。配下合わせて3千人。信長は藤吉郎をすぐに足軽組頭に昇進させます。働きのある者は誰でも、直ちに取り立てるのが信長の方針でした。
第19回 信長北上
堺の豪商・今井宗久の家の者が訪れ、信長に鉄砲を納めます。商人が持参した鏡や絹織物をしのが選んでいると、帰蝶(きちょう)が来て、残りの品を全て自分の部屋に運ばせます。信長はしのをなだめますが、今度は帰蝶がしのとは暮らせない、堺に住みたいと言い出します。永禄6年(1563)4月、帰蝶が堺へ旅立ちました。6月、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが九州に到着。信長は清洲の北、小牧山に城を移します。
第20回 伴天連(ばてれん)フロイス
清洲城を出た帰蝶(きちょう)は堺に着き、豪商・今井宗久を訪ねました。一方、フロイスとトルレス神父たちは、領主がキリシタンに改宗した九州の横瀬浦で布教に努めます。ほとんどの住人がキリシタンでした。ある日、領主を追放した武士たちが信徒を斬り、教会を焼き払います。フロイスは病身のトルレス神父を守り、南蛮船へ逃げ込みます。永禄7年(1564)10月、信長は朝廷から尾張国内の御料所の回復を命じられます。
第21回 将軍暗殺
永禄8年(1565)元旦、京に着いたフロイスはヴィレラ神父とともに将軍・足利義輝に拝謁します。5月、小牧山城で軍義中の信長のもとに、将軍家の使者・明智光秀が書状を持って訪れます。大和の松永久秀に謀反の企てがあるため、義輝を守るよう上洛(じょうらく)を促します。しかし、義輝はすでに暗殺された後でした。義輝の死で、フロイスたちは都を追われます。翌春、しのは三人の子を残して他界しました。
第22回 美濃攻略
東美濃をほぼ制圧した信長は、西美濃の武将たちの説得工作により稲葉山城の斎藤龍興を孤立させ、稲葉山城を残し美濃のほとんどを制圧しました。永禄10年(1567)春、信長は三河を統一した徳川家康の嫡男・信康に娘・五徳姫を嫁がせます。そして、信長は最後の城・稲葉山城を攻め落とします。十年の歳月をかけて美濃を制圧し、城のある井の口を岐阜と改名した信長のもとへ足利義秋(後の義昭)の使者・明智光秀が訪れます。
第23回 京への道
美濃を平定した信長は、稲葉山城を岐阜城と改め入城。さらに京を目指し、近江・小谷(おだに)城城主の浅井長政と妹・お市の縁組を進めます。断れば信長に攻められると考えた長政は縁組を承知します。信長は、越前の朝倉義景(よしかげ)のもとにいる足利義秋(後の義昭)を奉じて上洛(じょうらく)するつもりでした。小谷城のお市と長政は夫婦円満です。一方、堺の帰蝶(きちょう)は、宣教師の家でフロイスと出会います。
第24回 天下布武
信長に通じて六角勢に殺された近江の山上城主の妻・おなべが、信長を頼り岐阜城に来ました。上洛(じょうらく)の準備を進める信長のもとへ明智光秀が訪れ、足利義昭の書状を渡します。主君・朝倉義景(よしかげ)に愛想を尽かし、家臣にと願い出る光秀。この願いを承知した信長は、一刻も早く義昭を美濃に移すよう命じます。永禄11年(1568)9月、信長は“天下布武”の印を作り、2万5千の軍勢で都へと出陣しました。
第25回 野望
上洛(じょうらく)した信長は、三好三人衆を攻め、四国へ追いやります。足利義昭は、続いて将軍・義輝を殺した大和の松永久秀を攻めるよう命じます。しかし、信長は、この戦いでよく働き、天下の政に通じている久秀を使い道のある男と見ていました。将軍に任じられ、満足して能を楽しむだけの義昭にあきれる信長。信長を副将軍にとの義昭の意向を即座に断り、幕府など無用という考えを抱いて岐阜へ戻りました。
第26回 信長を見た
易占いを外した随天が信長の前で切腹しようとすると大雨が降り、取りやめになります。本願寺と堺に重税を課した信長に堺衆は反発し、合戦の準備をします。解決策を求めた今井宗久は帰蝶(きちょう)を訪ねますが、返事に落胆します。永禄12年(1569)、将軍・義昭の御座所が三好三人衆や斎藤龍興に襲撃されます。急ぎ上洛(じょうらく)した信長は警護を固め、将軍や幕府の権限を拘束する殿中御掟(おきて)を定めます。
第27回 対決
永禄12年(1569)春、信長はフロイスと初めて出会い、神の教えや遠い国々の話を聞きます。布教のためには死も恐れず海を渡る宣教師たちの覚悟に感心して、京での布教を許可します。明智光秀が重臣たちに、将軍・足利義昭と朝倉の不穏な動きを伝えに来ました。そこへ信長がフロイスから贈られた奇妙な帽子をかぶり現れます。信長は義昭らの思惑をすでに見抜いていました。
第28回 人の恨み
永禄13年(1570)、信長は、諸国の大名に上洛(じょうらく)を促しますが、越前の朝倉義景(よしかげ)は拒み続けます。義景を攻めるときは義弟・浅井長政に事前連絡をすると言う約束を破り、討伐に出陣します。朝倉から援軍を頼まれた長政は、心ならずも父・久政に従い、妻・お市に信長と戦うことを告げ出陣します。長政が背後から攻めてきたという知らせに、信長は木下藤吉郎にしんがりを命じ、都へ退去しました。
第29回 姉川の合戦
元亀元年(1570)6月、信長は小谷城の浅井長政を攻めます。徳川家康も3千の兵で駆けつけます。浅井の援軍として朝倉勢8千が小谷(おだに)城へ向かっているとの連絡に、浅井と朝倉の挟み撃ちを懸念した信長は、姉川まで兵を退かせますが、それを見た長政は姉川の織田軍を攻めます。徳川軍と朝倉軍の激突で合戦の火ぶたが切って落とされました。織田軍は苦戦しますが浅井・朝倉軍を破り、長政を小谷城へ退却させました。
第30回 死神
姉川の合戦後、再び動き出した三好勢を討つため摂津に向う信長は、三好勢に加勢する石山本願寺一向宗に攻められます。暗闇で響く南無阿弥陀仏は織田軍を恐怖に陥れます。横山城を守る木下藤吉郎は、本願寺と浅井が手を結んだことを察知します。岐阜城では随天が、おなべの方は死に神であり、追放しなければ織田家に不幸が起こると林通勝(みちかつ)に迫ります。近江の宇佐山城を守る義弟の織田信治が浅井勢に討たれてしまいます。
第31回 比叡山焼き打ち
元亀元年(1570)、信長は浅井・朝倉、三好、本願寺一向宗門徒らに取り囲まれ、近江宇佐山城で身動きが取れなくなります。そのため、勅命を条件に浅井・朝倉と和睦します。いつまでも決着のつかない戦いにいらだつ信長は意を決し、随天の毒で病床に伏す側室・おなべを見舞った後、岐阜へ戻ります。翌年正月、重臣らの反対をよそに比叡山を焼き払い、僧と3千人あまりの老若男女を皆殺しにしてしまいました。
第32回 随天
比叡山焼き打ちは、人々に大きな衝撃を与えました。林通勝(みちかつ)は切腹覚悟で諫言(かんげん)しますが、信長は取り合いません。そこに現れた随天が「非常に悪い卦(け)が出たので城を出ないように」と進言しますが、信長は一笑に付します。随天はるいの侍女・まつを使い、信長の側室・おなべに毒を盛らせていました。ある夜、おなべの侍女が夕食の毒味をして血を吐いて死にます。随天は残りの毒をまつから受け取ると…。
第33回 信長包囲作戦
元亀3年(1572)正月、信長は嫡男・奇妙丸(後の信忠)の元服式で、浅井・朝倉攻めを宣言し、浅井の重臣を味方に引き入れた秀吉をほめます。夏、小谷(おだに)城近くに陣を張る信長勢は一向宗門徒らに苦戦。そこに、朝倉義景(よしかげ)の兵が現れたという知らせが。信長は前田利家に将軍・義昭と本願寺のつながりを調べさせます。一か月後、徳川家康から一報が届きます。甲斐武田信玄、3万余りの軍勢で動き出す気配。
第34回 四面楚歌(しめんそか)
甲斐の武田信玄がついに動きました。前方に浅井・朝倉勢、背後は将軍・足利義昭と本願寺一向宗門徒、そして退路に武田軍と反信長包囲網の完成です。信長は急ぎ岐阜城へ戻り、将軍家との決別を表明する意見書を送りつけます。甲府を出発した武田軍は徳川家康の居城・浜松城を目指していました。秀吉は柴田勝家と丹羽長秀の名字を1字ずつもらい、名字を羽柴(はしば)と改めます。
第35回 足利幕府滅亡
元亀4年(1573)、三方ヶ原で徳川軍を破った武田軍は西へ進軍を続けます。しかし、なぜか朝倉軍は兵を引きます。理解に苦しむ浅井長政。信長の苦境は変わらず、将軍・義昭との和睦を決意し、前田利家を遣わしますが、失敗します。そこに、信玄が病に倒れ死にかけているとの知らせが…。勅命により、一度は信長と和睦した義昭ですが、再び挙兵します。しかし、敗れて無条件降伏し、信長に追放され、足利幕府は滅亡します。
第36回 浅井朝倉攻め
信長は、浅井・朝倉攻めを再開しました。信長の次の標的は自分に違いないと考えた浅井長政は朝倉へ援軍を要請します。出陣した朝倉義景(よしかげ)は、浅井軍が動かないことにいら立ち、兵を引き揚げます。これを追撃して越前に突入した信長は朝倉軍を壊滅させ、義景は切腹。長政は信長からの和議の使者を追い返し、お市に城を去るよう命じます。ついに信長が小谷(おだに)城めがけて攻め込みます。
第37回 天下を取る
織田軍が小谷(おだに)城の本丸に迫ると、浅井長政はお市と娘たちを信長のもとへ送り、討ち死にします。天正元年(1573)11月、信長は堺の豪商たちに本願寺を経済援助しないよう申し入れます。翌年、岐阜城での新年の宴席に突然現れたお市は、痛烈に信長を批判します。信長は側室・おなべのため、正倉院の蘭奢待(らんじゃたい)という香木を朝廷に所望し、許されます。信長が天下人となった瞬間でした。
第38回 長篠の戦い
天下を手にした信長の次の敵は、東の武田と本願寺顕如の一向一揆でした。信長は、一向一揆の一大拠点、伊勢長島を制圧します。天正3年(1575)春、武田軍が三河に動き出し、徳川家康から援軍の要請が来ます。徳川軍と合流した信長は、最強といわれる騎馬軍団に備え、鉄砲隊を編成します。馬の動きを止める柵を幾重にも立て、そこを三段構えの鉄砲で撃つ作戦です。騎馬軍団を次々と打ち落とし、信長はみごと勝利を収めます。
第39回 家督譲与
長篠の戦いに勝った信長は、越前の一向一揆を鎮圧し、その地を柴田勝家に任せます。近隣に前田利家らを配すことで、勝家の支援と相互監視体制を築きます。一方、徳川家康の嫡男・信康に嫁いだ娘・五徳姫の苦労ぶりを知らされますが、他家の内政に干渉できません。信長は都に近い安土に築城する夢を実行します。さらに、朝廷から右近衛大将(うこんえのだいしょう)の官位を受け、岐阜尾張を嫡男・信忠に譲り、安土に移りました。
第40回 夢の城
信長は、丹羽長秀や随天に安土に築く城の構想を聞かせます。そして、自分で描いた六重の塔をなした天守閣の絵を見せます。随天は、「六重は不吉」と告げます。足利義昭が本願寺らと手を結び、都を攻めるとの知らせが…。信長は都へ向かい、一向宗門徒を石山本願寺へ追い込みます。一方、フロイスたちは布教のため九州へ行く途中、安土の信長を訪れ、別れのしるしにと身につけていた十字架を贈りました。
第41回 伴天連(ばてれん)決死行
天正6年(1578)、安土城が次第に姿を現し、信長に天守閣を見せられた重臣たちは、その豪華さに驚きます。上杉謙信の死で背後の脅威が消えた信長は、石山本願寺、丹後、播磨と西へ攻めます。ところが、摂津の国主・荒木村重が本願寺側に寝返ります。信長は村重配下の城主たちが村重に続かないように、バテレン大名の高槻城主・高山右近と父の飛騨守を脅して味方につけます。そして、村重のこもる有岡城へ総攻撃をかけました。
第42回 悪い噂
天正7年(1579)、安土の信長が撃たれて死んだという噂(うわさ)が岐阜城下に流れ、池田恒興(つねおき)が安土に向かい、信長の無事を確認します。春、母・るい、随天、おなべ、お市たちが安土城に移ってきました。お市は、小谷(おだに)城から見る景色に似たびわ湖を眺め、涙を流していました。ある日、徳川家に嫁いだ娘の五徳姫から信長に、夫・信康と武田勝頼が家康に内密で通じているという手紙が届きます。
第43回 家康の悲劇
徳川信康が武田勝頼の弟・仁科盛信にあてた書状が信長の目に入りました。娘・五徳姫からの手紙に探りを入れさせた結果で、信長は家康に警告します。家康は嫡男・信康の潔白を信じますが、正室・築山殿と嫁・五徳姫の確執、信康と五徳姫の夫婦仲の悪化が招いた結果です。進退きわまった家康は信長を納得させるため、信康を二俣城に幽閉し、自害に追い込みます。さらに、家臣に築山殿を殺害させます。
第44回 余は神である
天正7年(1579)、安土城の完成が近づきます。信長は、自分をまつる総見寺のご神体にする丸い石を見つめていました。そこへ丹波と丹後を平定した明智光秀が報告に訪れます。しかし、光秀は功績を上げ続けることに疲れていました。林通勝(みちかつ)は総見寺についてのお触れ書きを読み、信長に諫言(かんげん)しますが、家老職を解かれ岐阜へ追放されます。年末には荒木村重の有岡城が落ち、羽柴秀吉が播磨を平定しました。
第45回 地球は丸い
勅命により本願寺と和睦した信長は、祝宴の席で本願寺作戦遅延の責めを負わせ、佐久間信盛を追放します。信長の変わりように一同はがく然とします。一方、信長は随天に総見寺建設の真の理由は、参拝させることで人を集め、城下町と門前町を重ねた都市政策であると語ります。ある日、フロイスがヴァリニャーノと安土を訪れました。信長は、ヴァリニャーノの見せた地球儀に強く関心を示し、地球が丸いことを知らされます。
第46回 安土山神学校(セミナリオ)
信長が総見寺の本尊として人々に拝むよう命じた本当の理由を知るはずのないお市が、人集めの方便だと言ったことに信長は驚きます。完成した安土山神学校(セミナリオ)では、ヴァリニャーノたちが授業を開始。越前に赴くことが決まったフロイスは信長と酒を酌み交わします。信長は、全国平定後の海外進出への夢を語ります。何を信じるのかとのフロイスの問いに、「信長を信じてこそ新しい世が来ると思わせたい」と答えます。
第47回 全国平定作戦
明智光秀は山陰道への進軍の途中、細川忠興に嫁いだ娘・お玉を丹後宮津に訪ねます。安土を去るヴァリニャーノがあいさつに訪れ、信長は彼の提言による青年クリスチャンのヨーロッパ派遣の協力を約束します。その後、妻・帰蝶(きちょう)の安土への帰参を進言に来た今井宗久に、信長は国際貿易への夢を語ります。天正10年(1582)、信長は武田の残党一掃を命じ、甲斐へ出陣。武田勝頼は甲斐の山中で自害します。
第48回 キング オブ ジパング
武田の残党を滅ぼした信長は明智光秀をねぎらい、しばしの休息をとらせますが、坂本城に帰った光秀をすぐ呼び戻し、安土を訪れる徳川家康の接待役を命じます。信長は妻子を見殺しにした家康を気遣っていました。そこに、秀吉から援軍の要請があり、信長は光秀に秀吉の援軍を命じます。さらに、領国の丹後と近江を返還して敵国の石見・出雲を奪い取るよう言います。光秀は疲れを覚え、信長がいなくなることを初めて意識しました。
第49回 本能寺の変(最終回)
母・るいにいとまごいをした信長は、随天を伴い毛利討伐に出陣し、京の本能寺へ入ります。京には嫡男・信忠の軍勢だけで、主力部隊は摂津に集めています。わずかな小姓と侍女が付き従う信長は丸腰同然。しかも明智光秀は京まで半日の亀山にいました。敵は本能寺にあり!光秀がついに謀反を決意し、京へ出陣します。天正10年(1582)6月2日早朝、蘭丸・坊丸らの奮戦もむなしく、信長は随天とともに最期の時を迎えます。
第 1回 ジパング
天正13年(1585)、天正少年使節がローマ教皇に謁見(えっけん)。初の公式訪欧は日本の近代化への第一歩でした。その45年前、幼い信長は尾張統一を目指す父・織田信秀、母・るいと戦乱の中にいました。信長は6歳で那古野(なごや)城主となり、15歳で美濃の斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)をめとります。天文18年(1549)、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日。そのころ信長は遊びほうける“うつけ者”でした。

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